マインドフルネスには人生を根本からかえる力がある
- Shannon N. Smith
- 2017年5月3日
- 読了時間: 6分

ここ数年でマインドフルネスという言葉の認知度が上がってきていて、嬉しい限りですね。10年前に私が実践しはじめたころは、周りの人は誰も知りませんでした。いや、本当ですよ。まあ、当時はわたしもマインドフルネスという言葉は使っていなくて、「瞑想」という言葉を使っていましたが。
また、3年ほど前に私が人生を救われたマインドフルネスを日本で広めたくて、本を書いていろいろ活動をはじめた時は、周りの人たちから「日本では無理」「暗い」と、まあそう言う気持ちもわからなくはなかったですが、言われて悔しい思いをしたのを覚えています。
ところがここ最近ではグーグルのSIYや、その他アメリカのテック系の企業がマインドフルネスを社員の生産性やQOLの向上等を目的として取り入れていたり、ハーバードやスタンフォードなどの一流大学でも研究が行われている等の情報が日本にも浸透しはじめ、実践する人も増えてきていて、いいですね。いやぁ、嬉しい。
一方、なんとなく思うのは、マインドフルネスという言葉の独り歩きも見えますね。もちろん気軽に誰でも実践できるようになっていくことは、人類のためにも喜ばしいことであると思っています。ただ、本当はマインドフルネスには人生を根本からかえる力があるということも、もっと広まってもいいのかな、と思っています。
「もっと凄いんだぞ! そんなものじゃないんだぞ!」ってね。まあ、あまり独りよがりにならないように自制はしたいところですが。
日本で、特に都会で、生活を送る現代人は仕事に育児に忙しく、ストレスで疲弊しきっているように見えます。
月曜日の朝の満員電車では、石を投げれば眉間にしわを寄せた人に次々と当たりながら飛んでいきますね。ゴツゴツ、ピューって。コラ! みたいな。
週末に子どもを遊びに連れて行くパパやママの顔の疲れ切ったこと、もう、みんなギリギリなんじゃないのかな、って心配になります。
誤解を恐れずに言うと、何のためにそこまでして頑張る必要があるのでしょうか。それは自らが選択した人生を生きている人の生き方なのでしょうか。(ふふふ、ここ深い意味を込めているつもりです)
そこで、海外旅行に言ったり、あるいはこういったマインドフルネスリトリートに行ったりして、日頃の疲れを取ろうとしたり、何かすごい「気づき」が生まれるのを期待したりします。しかし、疲れが取れるのもつかの間でまたいつもの日常に戻り、また疲れるのです。
残念ながら、何も解決していないのです。ですよね? いや、真面目に。
ちょっとここで少しだけ私の真面目な話をさせてください。
私は元薬物中毒者で某カルト教団の元幹部です。自殺未遂も経験しています。人生の不幸自慢は無意味ですし、読んでいる人も、人によっては不快な気持ちが湧くかもしれませんが、マインドフルネスの力のお話をしたいので、少しだけ触れさせてください。
私は子どもの頃から反抗ばかりしていました。なぜならこの世界が私に要求することが個人と人類の幸福につながっているように見えなかったからです。嘘ばっかりで偽善者の大人たち。わたしは本当のことが知りたかったのです。真理が知りたかったのです。だからダメと言われたことを逆にやり、数々の法も犯したりしています。そして10代中頃からは覚せい剤にも手を出し、中毒になり、挙げ句の果てには自殺未遂をするにいたります。その頃にはこの欺瞞に満ちた世界にうんざりしていたのです。
薬物中毒者として地の底のような生活を送る私の中に差し込んだ光は、ある宗教団体に所属する友人の友情でした。
気づけば、私もその宗教団体の信者が実践する「瞑想」のようなものを毎日実践するようになっていて、薬物から足を洗えたのみならず、後遺症も一切なくなりました。ここで私ははじめていわゆる「瞑想」が持つ力を体験します。二十歳のころです。そして世界平和を謳うその団体の教えに感激し、ついに本物に出会えたとの思いで、次々と友人・知人を勧誘し、活動をはじめてから4年半ほどたったころには名簿上はおよそ1000名ほどの人員を率いる幹部へと成長していました。しかし、その団体がカルトであるとの確証を得たのもちょうどその頃でした。私は断腸の思いでカルトを抜けて、裏切り者のレッテルをカルトから貼られつつ別の宗教団体に移籍し、そこでも役職者として活動しましたが、28歳になったころには、信仰の世界にうんざりし、抜けることを決めました。
私がカルトで良かれと思って行った強引な勧誘が原因で失った友人の数は数百にのぼり、人生をカルト活動に巻き込んでしまった人たちも数多くいます。すでにその団体を抜けてから10年以上たっているにもかかわらず、当時の勧誘が原因で私のことをさける人もまだいます。 ちなみになんでそこまで活動したかというと、
「自分が幸せになるとともに、みんなも幸せになって、世界平和に貢献したい!」
と思ったからです。そしてその宗教の教えでそれが実現できるという信念があったので、私は全身全霊をかけて活動したのです。今もそうですが、中途半端にできないのです。
薬物でどん底になり、救われたと思ったらカルトで、良かれと思ってその教えを広めた結果、ほとんどの友人が去る、と。そして多くの人を傷つけて、自らもまた傷つき。20代をすべて棒に振ったような気分になり、自責の念でうつ症状に苦しんだ時期もあります。
その後もなんだかんだ「真理を知りたい」「幸せになりたい」「みんなも幸せになってほしい」という気持ちは健在でしたので、「信」の世界に見切りをつけて「知」の世界へとすすむべく、「覚り」に惹かれていきました。紆余曲折のすえ、上座部仏教の教えを通して「覚り」にいたる手段としての「マインドフルネス」と出会います。今から10年ほど前の28歳のころです。
途中で少しだけ中断した時期もありましたが、「マインドフルネス」と、それまで行ってきた広い意味での瞑想を合わせると、5000時間以上を本日まで実践に費やしたことになります。その結果、私にはどのような変化が起きたのでしょうか?
一言で言うと、
「なーんだ、そんなことね」
という気づきでした。
それ以来、もちろん喜怒哀楽もあるし、ストレスも感じるし、悲しみも感じるし、(いやいや、当たり前か 笑)、人としての感情はもちろんあるのですが、心の奥底では常に「平和」なのです。「内なる平和とつながる」という表現をわたしはしていますが、まあ、それもただの言葉で、なんとなくそう言ってみたら響きが良かったからそう言っているだけですが、とりあえず、「平和」なんです。
怒らなくなったわけでも、人と言い争いをしなくなったわけでもないですよ。だけど「平和」なんです。なんていうか、心の奥底では常に微笑んでいる、みたいな。満足してるんですね。「生きる」ということのからくりが解けたみたいな。
ということで生きるのがとても楽になりました。
これをいろんな人にも体験してほしいと思っているのです。何言っているかよくわからないところもあるかもしれませんが、動機は「善」であるつもりです。
あれ、人によっては逆に引いちゃったかな 笑
まあ、お伝えしたいのは、「マインドフルネスには人生を根本からかえる力がある!」ってことです(^^)
お読みいただきありがとうございました!
生きとし生けるものが幸せでありますように
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