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カルト幹部体験記 第29話 深まる疑念(その3)

  • 執筆者の写真: Shannon N. Smith
    Shannon N. Smith
  • 2018年1月19日
  • 読了時間: 3分

(第1話はこちら

 仏滅年代の疑問を押し殺すのだけでも、精神的に疲れていたのに、さらに追い打ちをかけるような情報が、2001年の中頃のある日、ネットで検索をしていたら、出てきた。

大乗非仏説論。

 大乗経典は歴史上の釈尊が説いたものではないとする説だ。もしこれが事実だとすると、またまた顕正会の教義が崩壊する恐れがある。

 日蓮大聖人は法華経という経典を用いている。これは大乗経典の中でも代表的なものの一つである。

 大乗非仏説論では、法華経のみならず、大乗経典はすべて、釈尊滅後の弟子の創作であるとしている。

 歴史上の釈尊が本当に説いた教えは、パーリ語で記された、いわゆる大乗仏教の連中が小乗経典と呼んでいる経典にある程度残っているのみだという。(※諸説あり)

 これまた顕正会でない人間からすると別に大した話ではないと思われるかもしれないが、大問題である。

 キリスト教徒にとって、新約聖書がすべて後の弟子の創作で、作り話である、というに等しい。

 日蓮大聖人は天台大師智顗の『五時八教』に準拠して釈尊の経典を分類し、その中でも法華経、法華経の中でも本門寿量品、寿量品の中でも文底に末法の人類を救う教えが秘沈されていると説く。

 仏滅年代同様、これに関しても調べれば調べるほど、顕正会の言っていることのほうが、分が悪いことがあからさまになっていった。

 胃が痛い。胸が締め付けられる。

 顕正会の説を、現代の学者連中が受け入れるとは、到底思えない。

 学者、というと、わたしはすぐに父を思い浮かべる。大学教授である父は、つねに科学的に思考することを心掛けている。

その影響をわたしも少なからず受けていて、物事に矛盾点があると、それをスッキリさせたい衝動に駆られる。

そもそも顕正会の教義を受け入れたのは、成仏の相という目に見える物的証拠が、それらが事実であることを裏付けるようにしてあるからだ。

 成仏の相がなければ、他のことを受け入れることはなかっただろう。

 唐突に思い出した。大学のインド哲学の授業で、釈尊の教えの神髄は法華経であることを、顕正会の教義に準拠して天台大師の『五時八教』などを用いて、論証するエッセイを提出した時のことを。

 あの時、先生がくれたコメントが妙だったのだ。

「史実に基づいていないが、論理だてはすばらしい」

 その時はあまり気にも留めなかったのだが、先生は大乗非仏説をベースにして話をしていたのだ。今になってようやくわかった。

 世界的に、きちんと学んだ人間からみると、むしろ、大乗非仏説は常識なのだ。

 いや、でも成仏の相がある。これがある以上、顕正会の言っていることが正しいはずなのだ。

 仏滅年代も大乗非仏説論も、論破するのがとても困難に思えるが、顕正会の正しさは変わらないはずである。

 でも、胸が締め付けられる。スッキリしない。

 わたしはこの後も、さらに疑問を押し殺すようにして活動を続けていると、今度は別の角度からわたしの活動に大きな影響を与える出来事が起きた。

 Kがいつの頃からかH隊長に対する愚痴をこぼすようになり、活動から徐々に離れていったかと思うと、支隊長から一気に班長まで降格になったのだ。

 これにより、わたしは初めて、K以外の下で活動することになる。

第30話へと続く)

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当ストーリーはファウンダーであるShannonが実際に体験したノンフィクションです。そのため人名等は伏せています。記憶を頼りに書いていますので、万が一記憶違いなどがあった場合、すみやかに訂正します。Shannonは特定の宗教やカルトに現在属していませんし、信仰を勧めているわけでもありません。彼の体験をそのまま語ることが誰かの役に立てば、との思いで書いています。

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© 2017 by Shannon N. Smith.

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