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「正しさ」を追求する怖さ


「正しく生きたい」そう始めて本気で思ったのは、10代後半、薬物中毒も末期の頃。人生なんて所詮苦しみばかりで生きるに値しない、という諦めを覚え自殺未遂をして後、しばらくしてからでした。

 その直後、20歳の私は「正しい生き方」を発見します。

 わたしは子どもの頃より、ぼんやりと「世界平和」につながる活動をしたいと思っていました。

 この「世界平和」の実現へと向けて、何万人という人が寝食を削って活動している団体で活動するようになったのです。

 何万人という人間が「世界平和」という一つの目標に向かって、絶対に実現できるという確信を持ち、命がけで活動するエネルギーにあなたは接したことがありますか?

 それは私の人生観を変え、生まれて初めて、「生まれてきてよかった」「これぞわたしが生まれてきた理由」「これこそが正しい生き方」と本気で思いました。

 しかし、そこが実は「カルト」だった、と知ったのは、千単位もの数の人を「救う」とうい大義名分のもとにしつこく勧誘し、中堅幹部まで上り詰めた後でした。

 そのころには、カルト教団以外の友人・知人はほとんど失っていました。

 カルトを抜けて10年以上経った今思うのは、自分が思う「正しさ」に沿わない人は「間違っている、正さなければ」という発想は、「自分は正しくて間違っていない」と思うのと等しい、ということです。

 これは分断につながる、とても危険な思想の種です。

 しかし、人間である以上、「自分は正しい」と思うことは止められません。

 それを自覚して、いつでも方向修正できるよう自分の考えに沿わない視点に対してオープンでいたい。謙虚でいたい、本気でそう思います。

 あなたは、わたしのこうした考え方を「正しい」と思いますか? それとも「間違っている」と思いますか? 

あるいは、どちらにも偏らない、第三のとらえ方をされますか?

(カルトの体験はこちらで読めます。だいぶ長いですが 笑)

生きとし生けるものが幸福でありますように

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