top of page

自分勝手でいい加減な善悪論


「わたし」にとって都合のよいことは善で、都合の悪いことは悪。

 煎じ詰めると、そんなもの。

 あの人はいい人だの、あいつは嫌なやつだの、結局、基準は「自分」のモノサシ。

 そんなモノサシ捨てて、命として対等に見ると、「みんなその人なりに精一杯生きているんだ」ということが分かる。すると、人や自分に対する優しさが生まれる。

 生命はみな、苦しみを避けたいし、幸福になりたい。

 ただ、その手段や生き方が、ある人のモノサシから見ると、悪人で、別の人から見ると善人。あるいはそもそも関心の対象にすらならない場合もあれば、どちらとも言い難い場合もある。

 もう仲良くしましょうよ。同じ生命なんだから。

 って本気で思えるようになるには、一朝一夕でなれるかもしれないし、なれないないかもしれない。

 最愛の人の命を奪った人間に対して、その行為の裏にある「善意」にまで気持ちが及ぶようになるには、「聖人」にでもならなければできないのかもしれない。

 だからと言って、人を簡単に「悪人」呼ばわりするのも、ちょっと、違・・・

生きとし生けるものが幸福でありますように

bottom of page