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カルト幹部体験記 最終話 その後

  • 執筆者の写真: Shannon N. Smith
    Shannon N. Smith
  • 2018年5月25日
  • 読了時間: 6分

(第1話はこちら

「はあ、お前何やってんだ! お前そんなことが許されるわけないだろう! もうシャノンとは会えない」。Kに、日蓮正宗に入信したことを伝えたら、話に耳を貸してくれるどころか、縁を切られた。

 その後も、何度もKに会おうと試みたが、結局、まともに話すチャンスは2018年現在に至るまでない。

 2017年のある日、家族と実家の近くを自転車で走行中、Kとすれ違った。タイミング的に声をかけ損ねたが。

 直後に、2017年の顕正会総幹部会のビデオ映像の中にKが映っている姿を確認したときには、心が動揺した。わたしが顕正会を抜けたのは2004年。さすがに、もう顕正会のおかしさに気づいてKも抜けているだろうと思っていたが、甘かったようだ。

 彼は死ぬまで、浅井先生についていく決意なのかもしれない。

 それも一つの生き方として、わたしは尊重するし、尊敬もする。

 わたしの正義感など、別の視点から見れば『悪』なのだ。

 SD隊長に連絡がついたころには、Kからすでに話が伝わっていた。

「シャノン、浅井男子部長がシャノンは除名だって言ってたけど、俺は納得できないから、2週間猶予をもらえるよう男子部長を説得した。何とか考え直せない?」SD隊長は、わたしを引き留めようと、説得を試みてきた。

 SD隊長にはわからないよう、わたしは涙を拭う。この人は本当に人情の男だ、と思う。

 もちろん、わたしは説得に応じなかった。

 1年ほど後、顕正会のある大幹部から電話で、SD隊長が顕正会を除名になったことを聞いたとき、わたしはショックを隠し切れなかった。いや、顕正会を抜けられてよかったじゃないか、と思う人もいるかもしれない。でもわたしは、それよりも、浅井先生に忠誠を尽くしていたSD隊長を除名にする顕正会に対して、改めて疑問を抱いた。

 顕正会に巻き込んでしまった後輩を一人一人回って、謝罪した。日蓮正宗へと移籍したものも数十名いた。

 また、入信には至らなかったが勧誘していた人も、会える人間には会って、会えない人間にはそれ以外の手段で謝罪して回った。連絡のつかない人間がほとんどではあったが。

 予想通り、わたしを軽んずる者や、けなすものがほとんどだった。悔しかった。が、中には理解を示してくれる者もわずかながらいた。

 2017年のある日、昔顕正会の勧誘が原因で大げんかになった人間と、再会した。わたしが当時のことを謝ると、彼は「いいよ、あの時はそれが正しいと思ってやってたんでしょ? 俺のほうこそ大人げなくてごめん」と言った。

 彼は学生時代、世間的には不良と呼ばれる人間だった。学校では腐ったリンゴ扱いをされ、中学校すらまともに出ていない。しかし、人としての優しさや人情は、現代教育なんか受けなくても学べることを、彼は体現していた。

 わたしの一連の迷惑行為に対して、寛容的な態度をとった人のほとんどは、現代社会に馴染めず、世間的には「不良」という烙印を押されていた者たちだった。

一方、不寛容な態度をとった者の多くは、残念ながら世間的にはいわゆる優等生で「デキる人」ばかり。

本当の優しさや、人情というのは、自らがさげすまれる側に回らないと身につかないものなのだろうか。

 顕正会を抜けて、連絡のつく人には話をし切ったあたりで、妙観講の人たちと、顕正会の会館や自宅へ行き、日蓮正宗信徒としての「折伏(勧誘)活動」をして回った。

 その結果、今度は別の視点から顕正会のおかしさに接することになった。

 わたしは、顕正会内部では、「魔ノン」と呼ばれ、顕正会在籍中には勤行もほとんどしないで女遊びばっかりに明け暮れていた、どうしようもない支隊長だったとのことになっていた。

まったくの事実無根である。顕正会在籍中は、女遊びなんてしてる場合じゃなかったし、勤行は一日たりともさぼったことはなかった。

 ある時は、顕正会横浜会館近くで数十名ほどのチンピラのような男子部員に囲まれ、暴行を受けそうになった。その時は、ハッタリで、近くで撮影しているかのように思わせることができたおかげで、ものすごく軽い暴力だけで済んだ。が、もしわたしに演技力がなければ、今頃はどうなっていたことか。

 当時の妙観講員の仲間には、本部会館で男子部員50名以上に取り囲まれる等の、似たような経験をしたものが何人もいた。

さて、最終的にわたしは信仰の世界にうんざりし、日蓮正宗妙観講も抜けることになった。

活動期間は3年ほどで、最終役職は班長。28歳だった。

その後一度だけ30代前半の時に、心が揺れ、日蓮正宗の先輩に連絡を取り、勤行を再開した時期もあったが、すぐに違和感をおぼえ、離れた。

 わたしがそもそも顕正会で活動をし、のちに日蓮正宗でも活動を継続できた理由は、日蓮大聖人の仏法こそが真理の教えであると思ったからだ。

 子どものころから疑問に思っていた死後についての答え。世界平和はどうやったら実現できるか。こういったことに対して答えを与えてくれた。しかも成仏の相という、目に見える証拠をもって。

しかし、この成仏の相に関しても、学べば学ぶほど、どうやら都合よく解釈しているとしか思えない情報にたくさん接するようになった。

 最後の砦が崩れたのである。

 ただ、先に言っておく。もしかしたら成仏の相は本当で、日蓮正宗が正しいのかもしれない。あるいは顕正会が正しいのかもしれない。

 物事は突き詰めれば突き詰めるほど、断定が難しくなってくる。「正」という言葉自体、ただの概念だ。

 わたしがはっきりと言えることは、わたしは信仰の世界に見切りをつけて、『信の世界』から『知の世界』へと旅立ったということである。

『知の世界』とは真理を信じるのではなく、知る世界。

 真理を知るために、わたしは世の中の「さとり」と言われているものについて学び始めた。

 様々な情報に接することになった。

 さとっていると称するものの本や動画もたくさん見た。

 胡散臭いやつらばかりだったが、ようやくピンと来るものに出会った。

『原始仏教』

日蓮正宗は大乗仏教系だったことを思うと、自然な流れかもしれない。

 日蓮正宗を抜けるか抜けないかくらいの時期から、わたしは独学で瞑想をはじめ、原始仏教の八正道に従い、五戒を保ち、真剣に修行した。

 この間、誰のもとにも弟子入りしなかったし、誰か先生のもとを訪れてリトリートに参加したりもしなかった。もう団体に属したり、師匠のもとで学んだりするのが嫌だったのだ。

 その分、修行僧のようにむさぼり学び、社会人として仕事をしながらも、寸暇を惜しんでは一人実践した。犀角独歩という仏教の言葉が私を支えてくれた。

 現在は、はじめほど律義にやってはいない(例えばお酒は飲むようになった)が、瞑想に関してはずっと続けている。

 最後に、当時迷惑をかけてしまった家族・友人に対して深くお詫び申し上げるとともに、顕正会・日蓮正宗の諸先輩方には本気で生きるとはどういうことかを示していただいたことに感謝する。

 わたしはいかなる宗教団体に属してもいないし、属す気もない。かと言って信仰している人間を嫌煙する気も一切ない。

 みんな一生懸命生きているんだ。

ありがとうございました。

May all beings be happy.

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当ストーリーはファウンダーであるShannonが実際に体験したノンフィクションです。そのため人名等は伏せています。記憶を頼りに書いていますので、万が一記憶違いなどがあった場合、すみやかに訂正します。Shannonは特定の宗教やカルトに現在属していませんし、信仰を勧めているわけでもありません。彼の体験をそのまま語ることが誰かの役に立てば、との思いで書いています。

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© 2017 by Shannon N. Smith.

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