カルト幹部体験記 第35話 SD支隊長に教義上の疑問をぶつける
- Shannon N. Smith
- 2018年3月2日
- 読了時間: 3分

(第1話はこちら)
SD支隊長は、高校生中心の、一●隊の中で最も若い支隊だった。
私は、副長になって間もないころにある高校生を引きついで一緒に活動していたので、高校生の扱いに慣れていた。そのため、すぐにSD支隊のメンバーとも意気投合した。
中心メンバーは高校1年生数名。彼らはいずれも親が顕正会員で、高校生になると同時に入信していた。(顕正会に入信するには高校生以上でないといけない)
とにかく純粋で、エネルギーに溢れ、同じ年代の子たちが遊びや部活に明け暮れる中、彼らは、顕正会の活動にすべてを注いでいた。
いま振り返ってみても、本当に頭が下がる。努力の方向性次第では、オリンピック選手とかにもなれたんじゃないか、と思えるほどの打ち込みぶりだった。
若いパワーの影響で、わたしの組織もまた少しずつ伸びていった。
SD支隊長は、博識と呼ぶにふさわしいほど、頭の切れる人だった。
また、わたしがそれまでに出会ってきたどの顕正会員よりも、論理と感情のバランスが取れているよう感じた。
なんとなく、SD支隊長なら、と思い、仏滅年代と大乗非仏説論について、ある日の夜の車中、聞いてみることにした。先生の見解に従っていこう、と腹を決めてはいたのだが、やはり論理的に納得のいかないものはいかなかったのだ。
SD支隊長の答えは明確だったが、興味深いことに、浅井先生が合宿で指導された内容と違った。
おおむねこうだ。
仏滅年代に関しては、おそらく、現代の説が史実としては正しい。すると顕正会の説、いや日蓮大聖人の説が、厳密に言うと、間違っているということになる。が、考慮しなければいけないのは、鎌倉時代の人々の認識である。当時の人々は仏滅を紀元前1000年くらいであると定めていたから、その説を大聖人様は用いて、教えを説くのは当然。
逆に言えば、当時の人々の認識を無視して、いや、実際の仏滅は違う、と大聖人様が仮に知っていて言ったとしても、それは事態をややこしくするだけだから、言う意味がない。人類救済とは別次元の話である。
顕正会の仏滅年代に関するスタンスはある種方便で、広宣流布が達成したら、あるいは近づいてきて、学者連中がそこを指摘し、破折せざるを得ない状況になったら、先生や浅井主任理事が、しっかりと現代学問で分かっていることと照合し、改めて見解を述べるだろうと信ずる、と。
わたしは初めて、こういったことについて徹底的に考えた現役顕正会員は、わたし一人ではなかったんだ、と嬉しくなった。
続いて、大乗非仏説論について。これに関して人に聞くのは、初めてだった。
SD支隊長の見解は、確かに、膨大な大乗経典の中には、のちの弟子によって創作された、釈尊(ブッダ)の教えでないものも混入していても不思議ではない。だからと言って、法華経などの重要経典を釈尊が説いていないということにはならない、と。
早い話が、創作物も混ざっているだろうが、大事な経典、特に日蓮大聖人の教えの中心をなす経典に関しては、実際に釈尊が説いたものである、という見解である。
これに関しては、当時わたしが持っていた見解と一致した。
大乗非仏説論に関しては、非仏説論者自身がだいぶ憶測でもって論じている部分が多いよう感じる。つまり、仮に法華経が釈尊滅後500年に説かれたものだったとしても、仏弟子が正しく口伝でそこまで伝えたものを文書化した可能性は、否定できない、と思っていた。
わたしはSD支隊長とその日、夜遅くまで語り、家路についた。
(第36話へと続く)
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当ストーリーはファウンダーであるShannonが実際に体験したノンフィクションです。そのため人名等は伏せています。記憶を頼りに書いていますので、万が一記憶違いなどがあった場合、すみやかに訂正します。Shannonは特定の宗教やカルトに現在属していませんし、信仰を勧めているわけでもありません。彼の体験をそのまま語ることが誰かの役に立てば、との思いで書いています。
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