カルト幹部体験記 第34話 清らかな団体?
- Shannon N. Smith
- 2018年2月23日
- 読了時間: 3分

(第1話はこちら)
「お前バールでこめかみぶち抜いてやろうか?」
ある日の日曜勤行後、『清らかな仏弟子』によって埋め尽くされていたはずの仏間の一角に怒号が走ると、静まり返った。
「なめてんのか、って話だよ。誓願(勧誘ノルマ)達成してないのにバスの最後尾だぁ。調子に乗ってんじゃねーよ。ああ!? おめえだよ。おめえ」。S隊長のつるし上げが始まった。
はじめはよかった。
いや、厳密に言えば、S隊長が支隊長だったころから下で活動していた者たちにとっては、むしろその暴言の的が、隊全体に広がった分だけ、よくなったとも言えるのかもしれない。
いずれにせよ、S隊長は、隊長になりたての頃は、特に隊員に対して暴言を吐くこともなく、むしろ感激を中心とした指導をしていた。
その結果、各組織の折伏(勧誘)は伸び、わたしの組織もご多分にもれず、伸びた。
しかし、その成果を買われてか、一●隊全体の誓願が上がり、隊誓願の達成が難しくなってきたとき、S隊長は指導方針を変えてきた。感激と明るさを原動力としたものから、怒号と暴言でもって恐怖心を植え付け、プレッシャーと緊張感を原動力としたものへと。
その姿は、『狂気』そのものだった。
日曜勤行参加後に、大宮の本部会館近くにある公園で、よく隊で集まりながら朝食をとった。しかし、その場に感激の空気は一切なく、S隊長が終始、隊員の誰かをつるし上げていた。
全く楽しくなかった。
どころか、隊員のほとんどは、きゅうきゅうとし、みるみる隊の活気は失われていった。
それでも、真面目な隊員は、毎週きちんと日曜勤行に顔を出し、誓願達成にまい進し続けた。
S隊長の矛先は、最初のころはわたしのほうには向かなかったのだが、いずれ成果が落ち込んでくると、わたしのほうにも向いた。
ときわ台公園を歩いていると、S隊長が遠くから声をかけてきた。「ってか、シャノン歩き方が調子に乗ってるな。偉そうだよね。誓願できてないこと理解してんの?」
「すみません」と謝ると、「謝るなら誓願達成しろよ。ほらお題目唱えてこい」と言う。
ある日曜勤行後の集まりでは、「おい、誓願達成してない班長以上は前に来い」と言い、わたしを含め誓願を達成していない班長以上の幹部は、S隊長を囲む形で正座させられた。
「お前ら、やる気あんのか? あっ!? 聞こえてんのか?」S隊長の声が、仏間にこだまする。およそ『仏弟子』にあるまじき形相で、各幹部を聞くに及びない言葉で罵り、今日中に誓願達成するよう、頭ごなしに命ずる。
こういったS隊長の行動は、少しずつ、一部の古参幹部や、力ある幹部の反発を買っていった。
反発心を抱いた幹部は、だんだんとS隊長の暴言を無視するようになっていき、相手にしなくなっていった。が、誓願だけはきっちり達成した。幹部にとって忠誠の対象はあくまで日蓮大聖人に忠誠を貫く会長・浅井先生である。
一方、S支隊出身の支隊長や、一部の従順な隊員は、S隊長の言いなりと化していた。
わたしは、というと、特にS隊長に反発もしなかったが、言いなりにもならなかった。わたしから見ると、S隊長の時折見せる、何とも言えない孤独な表情に、一人立つリーダーの重責を感じ、隊長は隊長なりに精一杯やっているだけなのだ、と見守ろうと腹を決めていた。
中途半端な気持ちじゃ、顕正会幹部は務まらない。
ほどなくわたしはS隊長直下から、のちにS隊長の跡を継いで隊長になるSD支隊に移動することになった。確か2003年だった。
ちょうどこのころだったと思う。結果的にわたしが顕正会を抜ける直接的原因につながる情報に、初めて触れたのは。
(第35話へと続く)
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当ストーリーはファウンダーであるShannonが実際に体験したノンフィクションです。そのため人名等は伏せています。記憶を頼りに書いていますので、万が一記憶違いなどがあった場合、すみやかに訂正します。Shannonは特定の宗教やカルトに現在属していませんし、信仰を勧めているわけでもありません。彼の体験をそのまま語ることが誰かの役に立てば、との思いで書いています。
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