カルト幹部体験記 第27話 深まる疑念(その1)
- Shannon N. Smith
- 2018年1月5日
- 読了時間: 3分

(第1話はこちら)
釈尊(ブッダ)は果たして顕正会で教える通り、紀元前1000年くらいの人だったのか? それとも、わたしが学校で耳にした紀元前400―500年前後の人なのか?
その答えを求め、わたしは自宅のパソコンを立ち上げ、インターネットに接続する。
『釈尊 入滅 年』
立ち上げたブラウザに、そう打ち込んだ。『入滅』とは亡くなるという意味である。
検索結果が表示されるのを待つ。
なかなか表示されない。時代は2000年末だ。これを書いている2018年現在と比べると、パソコンのスペックも小さいし、ネットのレスポンスも悪かった。
ズラーっと、結果が表示され始めると、わたしはせわしなくページを上から順番に開いていく。
どのページも釈尊の生没年を紀元前400-500年前後と、定めている。紀元前300年代のものもあった。
一体どういうことだ? 釈尊の入滅が顕正会で言っているのと500年くらい違うじゃないか。
これはシャレにならない。思わず唾を飲み、手に汗握る。
顕正会を信じていない人にとっては、これがどういった意味を持っているかピンときにくいだろう。詳しいことは省略するが、これは教義的に破綻している可能性があるということを示しているのだ。
わたしは顕正会が正しいと信じ、全力投球でいままで活動に没頭してきた。その結果多くの人を巻き込むと同時に友人を失い、ここまで来ている。今さら引き返せない。
少し気を取り直す。
まだ結論が出たわけではない。
わたしは検索キーワードをいろいろ工夫して、さらに調べていく。そのうち、いろいろなことが見えてきた。
まず、釈尊の入滅年代、通称『仏滅年代』に関しては、すべての人が納得している一説があるわけではないようだ。
いくつかの説があり、顕正会が用いている説は『周書異記』に準拠していて、鎌倉時代の日本の人々が定説として用いていたもののようである。
逆に言えば、鎌倉時代の日本の人々は、基本的に仏滅を紀元前949年ごろと定めていて、これは日蓮大聖人に限った話ではない、と。
そのため、当時の人々は西暦1052年が仏滅後2000年目に該当するとし、その年に末法に入ったという認識を持っていた。
さらに日蓮大聖人は、御書(日蓮大聖人が著した書物)の中で、仏滅年代に関しては諸説あると知っている旨を述べている。
しかし、いくら調べても、紀元前949年に釈尊が入滅したことが史実であると裏付ける情報が見つからない。
調べれば調べるほど、それは誤りであると思えるような情報ばかり出てくる。
強烈だったのは、世界史とインド史を並べてみた時だった。
釈尊が紀元前1000年前後の人であるわけがないのだ。もしそうであるならば、世界史を書き直す必要が出てくる。歴史がちぐはぐになる。
生きた心地がしない。
(第28話へと続く)
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当ストーリーはファウンダーであるShannonが実際に体験したノンフィクションです。そのため人名等は伏せています。記憶を頼りに書いていますので、万が一記憶違いなどがあった場合、すみやかに訂正します。Shannonは特定の宗教やカルトに現在属していませんし、信仰を勧めているわけでもありません。彼の体験をそのまま語ることが誰かの役に立てば、との思いで書いています。
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