カルト幹部体験記 第24話 広がってゆく世間との感覚のズレ(その4)
- Shannon N. Smith
- 2017年12月15日
- 読了時間: 4分

(第1話はこちら)
「わかりました」。わたしは少し口調を和らげた。「わたしがあとできることは、将来ことが起こったときにあなたが気づけるよう、言い切ることだけなのかもしれません」
彼女の目からは、生気が感じられない。もう疲れ切っているのだろう。
「仏法というのは幸せになる法則であると、最初のほうにお伝えしましたね?」
彼女は頷く。
「法則である、ということは信じる信じないに関係なく、すべての人がその影響下にあるということでもあります。例えば、重力みたいなものです」。わたしは彼女が話についてきているか確認するため、一呼吸おく。「法則というのは、則れば、則ったなりの結果が生まれ、背けば、背いたなりの結果が生まれます。仏法というのは生命の根本を説く法則なので、知っていようといまいと、則らなければ、その報いを受けます」
「というと?」彼女の口もとは、心なしか震えているように見える。
「不幸になるということです。仏法というのは絶対の法則なので、用いれば必ず幸福になり、背けば遅かれ早かれ罰を受け、不幸になります。罰は、自分の向かっている方向が幸福に向かっていないということの印として起きます。逆に言うと、そのおかげで気づくことができるのです」
わたしは罰論と合わせて、仏法が正しい証拠として日蓮大聖人の振る舞い、臨終の相などをここで挙げつつ、さらに罰論を説く。個人として受ける罰、国として受ける罰。必ず罰を受けて気づく、と。そして向こう10数年で国全体が罰を受け、滅びる寸前まで追い込まれた後に、必ず仏法は国教になることを言い切る。
早く気づいてほしいと切に願っていると添える。
最後に、総幹部会のビデオ放映に誘うも断られたので、顕正新聞と『日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ』を渡す。
「もう帰ります」と彼女は受け取るやいならそう言い、お茶代を置いて、お店を出ていった。
わたしはそのまま立ち上がり、会計を済まして出ていく。
今回挙げたケースはあくまで一例で、比較的穏便に終わったパターンである。
ここまでしつこく迫れば、相手が怒り出すケースも決して珍しくなかった。
また、あるときには、わたしのしつこい折伏(勧誘)の報復としてヤクザを連れ脅してきたケースもあった。無論、そのヤクザもろとも折伏し、逆にヤクザの人たちも『間違っていたら腹を切る』と言い切ったわたしの気迫に感心して帰るという、今思い出してみても、何とも複雑な心境になるような展開もあった。
いかなる相手であっても、一切妥協しなかった。相手がわたしに対してどのような暴言を投げかけようが、仲間はずれにしようが、一向に構わないどころか、返って喜びとしていた。
そう思えたわけは、『罪障消滅』という考え方があるからだ。『罪障消滅』とは、言葉の通り、罪が消えるということである。
顕正会や日蓮(正)宗系では、本来ならば過去(現世および過去世)の罪が原因で受けなければいけない苦しみを、折伏が原因で受ける難に置き換えることができると説いている。
例えば、折伏することによって悪口などを言われれば、本来ならガンになるところをガンにならなくて済んだり、破産を免れたりできるというのだ。
逆に言えば、悪口を言われれば言われるほど、幸せになるという、なんともある意味『無敵』な教えである。
それに加えて、正しい教えである証拠として、その実践を妨げる『魔障』があると説く。
眠くて勤行がやりたくない。親が反対する。友だちに反対される。一切の、仏法の実践を妨げるものは『魔障』である、という一言で片付けられ、それを乗り越えて実践を貫くことによって、必ず幸福になると教えているのだ。
だから現役顕正会員に対して、こういった考え方を知らない周りがいくら本人のことをやめさせようと説得しても、一向に功を奏しない。どころか、反対すればするほど、さらに積極的に活動するようになる。
わたしは当時、顕正会を本気で正しいと信じていたため、やはり、やればやるほど、活動はさらにエスカレートしていった。
気づいたら、わたしの周りの人のほとんどは、わたしを慕う人と、嫌う(あるいは軽んじる)人とに分かれていた。
そんな調子でやっていたので、次の役職である支隊副長へと上がるのにも、時間はかからなかった。
(第25話へと続く)
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当ストーリーはファウンダーであるShannonが実際に体験したノンフィクションです。そのため人名等は伏せています。記憶を頼りに書いていますので、万が一記憶違いなどがあった場合、すみやかに訂正します。Shannonは特定の宗教やカルトに現在属していませんし、信仰を勧めているわけでもありません。彼の体験をそのまま語ることが誰かの役に立てば、との思いで書いています。
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