カルト幹部体験記 第19話 広布御供養
- Shannon N. Smith
- 2017年11月10日
- 読了時間: 3分

(第1話はこちら)
1999年12月。顕正会で活動し始めて4ヶ月目にして最初の年末。20歳のわたしの心の中は、日本を救う戦いにいよいよ命をかけるのだ、との思いでいっぱいだった。
先の総幹部会で班長になり、わたしは名実ともに、顕正会の幹部であると言えるようになった。
班長は、総幹部会に参加できる幹部の中でも位は一番下。幹部の走りとでも言おうか。けれど、幹部であることに変わりはなく、それをとても誇りに思っていた。
「12月は年に一回の広布御供養が行われる月」と隊長は総幹部会終了後の集まりで言っていた。
広布御供養とは、年に一回だけ行われる御供養で、集まったお金はすべて広宣流布(仏法を国教とする)を進める活動資金として使われる。
顕正会においては、これ以外に御供養を募ることは基本的にない。ビデオ放映に参加しても、日曜勤行に参加しても、総幹部会本番に参加しても、どのような会合に参加しても御供養を取られることはないのだ。
金額は一人あたり下限が1万円。上限が8万円。
そう。上限があって、どれだけお金を持っていても、8万円を超える御供養はできない仕組みになっているのだ。
先日、Kは言った。「先生は経済面からも俺たちのことを慮って、無理しないように、と上限をもうけられているんだ」
このほか顕正会でお金のかかるものとしては、機関紙(顕正新聞)の購読料として8000円。これは年に一度、5月に機関紙購読の推進があり、その際に支払う。その他、活動のための移動費や食費、たまに行われる合宿、テープやビデオや書籍、数珠や教本代等が挙げられる。
しかし、御供養という位置づけのものは、この広布御供養のみだ。
ただ会員として日々勤行に励み、ビデオ放映や日曜勤行などに参加するだけであれば、会に一円も収める必要はない。(数珠や教本は基本的に紹介者が負担してくれる)。こういったことを根拠に顕正会員は折伏の席で「顕正会はお金がかからない」という。たしかにそれは事実である。
当時のわたしは、こういったお金に対する姿勢についても、本物である、と誇りに思っていた。が、いま振り返って考えてみると、実態としては、幹部が部下の御供養(機関紙代も)を立て替えたり、代わりに出したりしていて、経済的に逼迫していた活動家が多かった。わたしもご多分に漏れず、団体を抜ける直前の財布と預金通帳は悲鳴を上げていた。
さて、初の広布御供養の月、わたしは自分で御供養用の資金をためつつ、班員にも御供養するよう、指導して回った。それと同時に、1月に控えている『登用試験(詳しくは第20話で)』の勉強を自らするとともに、何名かの班員も巻き込んで勉強し、さらに、折伏(勧誘)も毎週実践した。
その功を奏してか、12月末の広布御供養は、自分のみならず何名かの班員とともにできた。
大学生であったわたしは、日々の贅沢を切り詰め、飲み会など無駄なお金が飛ぶ遊びの一切を絶ち、お金を精いっぱいためて、出せるギリギリの額を御供養した。
このあたりからだろう。わたしが本当に、いわゆる「普通の大学生」や「普通の20台前半」と言われるような人たちとの感覚が加速度的に合わなくなっていったのは。
(第20話へと続く)
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当ストーリーはファウンダーであるShannonが実際に体験したノンフィクションです。そのため人名等は伏せています。記憶を頼りに書いていますので、万が一記憶違いなどがあった場合、すみやかに訂正します。Shannonは特定の宗教やカルトに現在属していませんし、信仰を勧めているわけでもありません。彼の体験をそのまま語ることが誰かの役に立てば、との思いで書いています。
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