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カルト幹部体験記 第8話 人生観をひっくり返される

  • 執筆者の写真: Shannon N. Smith
    Shannon N. Smith
  • 2017年8月25日
  • 読了時間: 9分

(第1話はこちら

「じゃあちょっとさ、ビデオを見る前に少しだけ改めて日蓮大聖人様の御遺命について話させて」とKは言った。「それを分かっていたほうが、ビデオの内容もわかりやすいと思うから」

「オーケー」

 わたしは先日Kに見てみないかとの誘いを受けた、「発足30周年記念幹部会」のビデオを見に、Kの自宅に来ている。

 Kは鎌倉時代に生まれた日蓮(正)宗系の宗祖である日蓮大聖人の御遺命について、説明を始めた。

――そもそも御遺命とは何かというと、遺言と命令を合体させた語。その内容を一言で言うと、広宣流布・国立戒壇建立だ。

 日本の広宣流布とは、日本の全国民が、一切の他の宗教や幸福を説く教えを捨てて、日蓮大聖人の仏法以外に成仏の法(幸福になる道)はなし、と信じ、一同に「南無妙法蓮華経」と唱えることである。

 国立戒壇建立とは、真の世界平和を実現する方法である。

 広宣流布の暁に日蓮大聖人の仏法を国教とし、国家として現在日蓮正宗総本山富士大石寺に安置されている「本門戒壇の大御本尊」を奉安する戒壇堂を世界の代表として日本が建立する。

 そうすることによって、日本は世界に先駆けて仏国となり、平和・安泰になる。

 そしてこれはいずれ世界にも波及し、この星に真の平和が訪れる。

 なぜこれらのことが重要かというと、末法である現代においては、個人レベルで見ると下種の御本仏である日蓮大聖人の教えを保たない者に関しては現当二世(現世と死後)に渡って不幸になり、国家レベルで見ると日本も世界も亡びる。

(※末法思想や日蓮大聖人の仏法とお釈迦さまの教えの関係などについてここで詳しく述べようとすると本当に長くなるので割愛する)

 そしてそう言い切れるわけは、日蓮大聖人の仏法こそが唯一正しい宗教だという証拠があるからだ。

 一つは臨終の相。

 人が死後どのような状態にあるかは、その人の遺体を見れば分かる。

 成仏した人は成仏の相を現ずる。その遺体には死後硬直が見られない。肌は白くて唇は赤く、目と口は半開きになる。

 一方、遺体が死後硬直したり、色が黒くなったり等々の症状は地獄に堕ちたことをあらわす堕獄の相だ。

 これらのことは、その気になれば、自らの目でも確認できる、動かぬ証拠である。

 もう一つは、鎌倉時代に日蓮大聖人が内乱と他国侵逼難(他国からの侵略)を、その兆しの全くないときに予言し的中させたこと。

 文応元年(1260年)7月16日、日蓮大聖人は国家諌暁(国家を諌めること)に立ち上がる。鎌倉幕府に『立正安国論』(国宝)を提出したのだ。

 同書において大聖人は、正嘉元年以来、当時の幕府を襲っていた地震、飢饉、疫病、暴風雨等の災害は人びとが念仏などの邪法を信じて、正法である法華経を用いていないゆえであると、様々な仏典を根拠に述べた。

 一切の邪法を捨てて正法に帰すれば国も国民も安泰になる。が、もしこのまま邪宗を尊び続ければ、いずれ内乱が起き、他国の侵略を受けて国は亡びると。

 しかし幕府は用いなかった。

 のみならず、日蓮大聖人がその後対面することになったのは、二度の流罪と一度の死罪を含む、大迫害だった。

 すると驚くべきことに、事実、のちに幕府内で戦が起こり、蒙古が二度襲来した。

 現代の歴史学者がどう解釈しようと、国宝として残っている『立正安国論』で述べた通りになった事実は覆しようがない。これまた仏法がこの宇宙の真理を正しく説いているという、動かぬ証拠である。

 最後に竜ノ口法難。

 幕府が日蓮大聖人の死刑を執行するために、竜ノ口の刑場で首を切ろうとする。ちょうどその時、江ノ島の方角から月のような光り物が出現し、刀が段々に折れた――。

「これは日蓮大聖人が全人類を救済される下種の御本仏である証明で、やはりこの仏法が絶対である証明」とKは言った。「ちょっと話が長くなっちったけど、そんな感じ」

 なかなか長い説明だったが、Kの情熱と確信にわたしは身震いを覚えた。

 Kは立ち上がり、VHSビデオをセットして部屋の明かりを暗くした。

 ビデオが始まった。

 映像は少し古い感じがした。それはそうだ。今は1999年。この幹部会が行われたのは1987年だった。

「ただいまより、日蓮正宗顕正会発足30周年記念幹部会を開会いたします」。司会の人がそういうと大きな拍手が鳴り響く。「スライドを上映いたします」と言うと、画面にデカデカと「顕正会三十年の足跡」と表示された。

 ここからはスライド形式で、女性が淡々と語るなか、ときおり会長の講演の生音声が流れた。

 およその概略は次のとおりだ。

――顕正会は、はじめ妙信講という名の下、1957年380名で結成された。

 翌年1月に日蓮正宗の時の法主第65世日淳上人より正式に日蓮正宗法華講支部妙信講として認証される。

 最初の数年は何事もなく、ひたすら日蓮正宗の法華講として、信者を増やす活動をしていた。が、日淳上人がお亡くなりになって、日達上人が猊座に登り、時同じくして、創価学会3代会長に池田大作氏がなると、事態は変わってくる。

 宗門(日蓮正宗)も創価学会も広宣流布・国立戒壇建立を当然目指していた。

 これは文書にもはっきりと残っている。

 だが、公明党の支持母体である創価学会3代会長池田氏は、国立戒壇を主張すると選挙に不利であるとの考えに至る。共産党から「国立戒壇は憲法違反である」とのことで質問主意書が衆議院議長に提出されたのだ。

 池田会長はそこで、「正本堂」という建物を大石寺境内に建てる計画を打ち立てる。

 そして日達上人を取り込んで、日蓮正宗の公式見解として、曖昧ながらもそれが大聖人御遺命の戒壇であると公表させ、自らははっきりと御遺命の戒壇であると主張した。

 つまり共産党の質問主意書を恐れ、国立戒壇の御遺命を放棄したのだ。

 それに対して、現顕正会会長の浅井先生は、それは御遺命違背であり、宗門も国家も取り返しのつかないことになる、と宗門並びに創価学会を糺す書面を送る。

 そこから、当時の創価学会副会長や理事長などと激しく論判することになる。

 2度創価学会には公式文書で「正本堂」は御遺命の戒壇ではないと訂正させ、日達上人にも訓諭(宗門トップとしての命令や公式見解)を訂正させることになった。

 にも関わらず、学会・宗門は二転三転し、最終的に、池田会長の思惑通り、宗門は国立戒壇の御遺命を正式に放棄することになる。

ただ、宗門の公式見解として、「正本堂」をはっきりと御遺命の戒壇であると主張されることは防ぐことができた。

 その後、妙信講は日蓮正宗より解散処分を受けることになる。宗門の公式見解に従わず、国立戒壇を主張し続けたからだ。

 それでも妙信講は解散せず、独自に折伏(破折・屈服の義。一般的には勧誘と呼ばれる)を進めていく。

 どんどん講員数を増やし、途中、顕正会と名を改め、いまや一国を相手に広宣流布・国立戒壇建立の御遺命を唯一掲げて戦う団体となった。

 ビデオの段階での信者数は10万。

 1999年9月現在は67万ほどだ――。

 わたしの心は理屈抜きに何度も会長である浅井先生の獅子吼に激しく揺さぶられた。

 次にいくつかビデオの中で流れた会長の講演の抜粋を紹介する。

――1972年、浅井先生は創価学会の池田会長に公場対決を申し込む。豊島公会堂に妙信講・学会代表各500名ずつと、マスコミを呼び、そこで決着をつけようと。正本堂が御遺命の戒壇であるかどうかを公衆の面前で決するのだ。

 この直前の臨時班長会で公場対決について先生はこう言った。

「もし学会の会長に本当の確信があるならば…(略)…何がゆえに正本堂が究極の御遺命の戒壇なり…(略)…言うことを堂々とこの公然の場に来て論破をすべきだと思うのですが、どうでしょうか。(拍手)

 ……万が一妙信講が自ら言うところが誤りであった、言うことが明らかになるならば、妙信講は解散する。私は腹を切る」

(この対決は実現していない)

 第16回総会の席上、先生は言った。「護法のためとはいえ…(略)…もし自分の不明により、国法の落とし穴があるならば、一切の責任はその時わたしが取らせていただきます。ただただ、大聖人様のご守護を賜り、断じて国立戒壇への怨嫉は打ち砕いて参ります。どうか全妙信講の皆様には鉄の団結を持ってついてきていただきたい」

 1982年。大総会において顕正会と名前を変更し、次のとおり言った。

「この名称を改めたことこそ、背水の陣の表明であります。

 私はこれからの戦いに命を捨てる決意であります。

 世間の毀誉褒貶など眼中にない。

 ただ一人(いちにん)の大聖人のお褒めをいただければそれでよろしい。

 もし後25年で広宣流布ができなければ、核戦争によって人類は絶滅であります。

 『我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず』。こう仰せられた大聖人様がこの人類絶滅、諸人堕獄の悲惨をそのまま傍観なさるはずがありましょうか。

 そのようなことは絶対にありえません。

 ならば広宣流布は断じてできる。大聖人様が仏力をもって日本の広宣流布をあそばすのであります。

 我が顕正会は過去25年の御遺命守護の御奉公により、この大仏事のお手伝いをさせていただけるのであります。

 …(略)…たとえ途上に倒れることがあろうともその人は真の仏子であり、仏果にかなうということを大聖人様が仰せであります。

 どうか全員、一人ひとり今後25年の御奉公に自らの一生成仏をかけて立ち上がっていただきたい。

 …(略)…本日ここに集まった全員、一人ひとりがこれから25年いかなる事ありとも退転せず、広宣流布を断じて成し遂げることをここに大聖人様に誓い奉り、もって一国広布の出陣式としようではございませんか」

 発足30周年記念幹部会、最後の挨拶で先生はこう言った。

「妙信講の諌暁を機にあのとき宗門全体が揺れ動いたのであります。このようなことが凡夫の力でもって成しうるわけがない…(略)…妙信講の後ろには御本仏大聖人様がついておられた。

 …(略)…これをもって思うに、将来顕正会が100万、1000万となり、大聖人様の仏勅をこうむって第3の戦いをしんしんと進める時、また一国必ず揺れ動くと私は確信しております。

 大聖人様の御威徳により…(略)…ついには『ただをかせ給へ梵天帝釈等の御計として日本国一時に信ずる事あるべし』。そういうような時代に必ず立ち至るのであります」――。

 すべてを見終わったとき、私の頭の中ではある言葉がこだましていた。「日本に残された時間は少ない……共に手を携え……日本国を救おうではないか」(「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」pp103-104)。

 この人は本当に命をかけている……。

 だって、あの時に、宗門と学会が御遺命を曲げようとした時に、だまっていれば、今頃のんびりと普通に生活できていたはずなのに。

 相手は創価学会だぜ。殺されても不思議じゃないし。

 俺は今まで何をやってきたんだろう。

 小さな自分の殻にこもって、この世の中に対して反発して、おかしいって言って。口先だけじゃん……。

 この人は本気で日本と世界を救おうとしていて、今まで戦ってきて、これからも戦おうとしている……。

 世の中の人間がなんて言おうと……。

 いや、やばい。もうどんな言葉も軽い……。

 自分の欲を追っかけている自分が恥ずかしい……。

「どうだった、シャノン?」Kの声がわたしの頭の中に割り込んできた。

「これはマジで先生ならやるね、広宣流布」

 わたしはこの時はっきりと、日蓮大聖人の仏法の教えのもと、全世界が統一され、平和になっているビジョンを見た。人生観をひっくり返されたのだ。

第9話へと続く)

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当ストーリーはファウンダーであるShannonが実際に体験したノンフィクションです。そのため人名等は伏せています。記憶を頼りに書いていますので、万が一記憶違いなどがあった場合、すみやかに訂正します。Shannonは特定の宗教やカルトに現在属していませんし、信仰を勧めているわけでもありません。彼の体験をそのまま語ることが誰かの役に立てば、との思いで書いています。

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© 2017 by Shannon N. Smith.

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