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カルト幹部体験記 第3話 1997年7月16日

  • 執筆者の写真: Shannon N. Smith
    Shannon N. Smith
  • 2017年7月21日
  • 読了時間: 8分

 (第1話はこちら

 初めてKの勧めで「勤行」を試してから、5ヶ月ほど経った。あれ以来、わたしの記憶に残っている範囲ではKから連絡はいっさい来ていない。

「勤行」を試した帰りの道中、KとAさんから「勤行」を朝晩続けてみよう、と言われたが、わたしは丁重にお断りしていたのだ。一回ためす分にはいいけど、続けるには、きちんと納得してからじゃないとできない。この教えが真理の教えであるとは現時点ではとても思えないから無理だと。

 その後も、わたしの周りの友人でまだ勧誘されていなかった者たちから、Kが勧誘しにやってきた、という話しをよく聞いた。あいかわず積極的に活動しているようだった。

 そのころ、いつも一緒にいた親友は覚せい剤の使用で逮捕されていて、わたしは毎日のように一人さびしく覚せい剤をやっては、人生の虚しさを紛らわしていた。

 当時のわたしの人生観は、一般的にはかなり悲観的と言われるようなものだった。頼んでもいないのに勝手に親に産み落されて以来、世界が「教育」という名を借りた「洗脳」によってわたしを「わたしではない何か」に強制的にならせようとしているように感じていた。「自分」が「自分のまま」でいることはこの社会にとって「害悪」であるため、社会にとって都合のいい「大人」にならなければいけないと。ハイスクールのころ(わたしは日本のアメリカンスクール卒)にアートの授業で書いた一枚の絵が、わたしの心境をよく表現していた。鳥かごに足かせをはめられた状態で閉じ込められたかわいそうな鳥。その上に大きく「SCHOOL IS PRISON(学校は牢獄)」と書いた。真意は「LIFE IS PRISON(人生は牢獄)」だった。

 類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。わたしがそういった考えを持っていたものだから、基本的に友人も社会的には「不良」のレッテルを貼られるような者たちが多かった。

 エレメンタリースクール(小学校。日本の1年生~5年生)のころはよく喧嘩もしたが、ミドルスクール(中学校。日本の6年生~中学2年生)になるころにはそれにも飽きて、おとなしくネコを被った。

 ハイスクール(高校。日本の中学3年生~高校3年生)になるころには、また社会に対して隠しきれないほどの強い反発心が再燃した。子どものころに比べると少しだけ知識と読解力が付いてきたので、この社会や歴史について書籍などを通じて自ら学んでみた。しかし、学べば学ぶほど、この世の中は終わっていて救いようがない、という絶望感にも似た怒りがこみあげた。

 権力を握る人間は、本当にごく一部の例外を除けば、「クソ野郎」ばかりで、民衆はいつもその権力者たちの欲を満たすために利用される。たちの悪いことに、権力者たちは、民衆を利用しているとバレないようにしっかりと民衆を「教育」し、「自由である」という幻想を植え付けるのだ。「高等教育」なんか受けたらたまったもんじゃない。ロボットにさせられる。

「善」とはそんな社会システムにとって都合のいい行為。「悪」とは都合の悪い行為。そんなのに従ってられるかと。

 そんな価値観をベースとして生きていたので、「外の世界に希望を見出せないなら、内側の世界、すなわち意識の世界に何か救いがないか、たしかめたい」という気持ちと、単純な好奇心から、薬物に手を出してみた。

(※先に、わたしは薬物の使用を推奨しているわけではない、ということをここに明言する)

 はじめは、よかった。

 初めてガッツリやってみたのはライターガス。確か16歳のころだったと思う。その前にも14歳のころに好奇心からグルーを吸ってみたことがあったが、ちゃんと吸えずよくわからなかった。しかし、ガスは違った。吸うとあっという間にラリって現実が歪んだ。おお、やはり現実っていうのは、幻想だ! と笑ったのを思い出す。しかし、脳に直接ダメージを与えるので、このままでは本当にバカになると思い、早い段階で卒業した。

 次に手を出したのが、マリファナ。音楽を聞くと、まあ、すごい。臨場感が半端じゃない。笑い出すと止まらないし。陽気になるし。ただ、体重が増えた。「Munchies(マンチーズ)」と言って、とにかく食べ物が美味しくてたまらなくなり、延々と食べ続けてしまうのだ。わたしは「何でこれが違法なんだろう」とまじめに思った。お酒を飲んで喧嘩をする人はたくさんいるが、マリファナを吸えばすぐにみんな友だちになるじゃん、と。事実、2017年現在、アメリカの約半分の州で少なくとも医療用としての使用は合法で、レクリエーションとしての使用も合法な州もいくつかある。カナダでも2018年に条件付きで解禁されるそうだ。

 さらにはLSD。ザ・ヒッピードラッグ。ジミ・ヘンドリックスが常用していたことでも有名だ。サイケデリックの部類に入るから、まあ、もう、幻覚や幻聴が半端じゃない。いろんな世界へと飛んだ。ただ、バッドトリップすると、生き地獄を味わう。だから、扱いには注意が必要だ。最近は、マイクロドーシング(微量摂取)することによって、うつやアルコール依存症等の改善や、クリエイティビティの促進に役立つのでは、と言われるようになり、そういった研究が行われていたり、非合法ながらもアメリカではスマートドラッグ的な感覚で使用している人もいたりするようだ。

 ほかにもいろいろ手を出したが、どれも完全に自分の人生を乗っ取らたような感覚になるようなものはなかった。つまり、薬が効いている時は、確かに変性意識状態になるし、そこからたくさんのことを学んだ。が、常用するにはいたらなかったし、何かの中毒になったと感じることも無かった。

たった一つ、覚せい剤を除いては。

 これだけは本当に、いわゆる「薬物中毒者」といわれるような状態にまでなった。

 わたしがそもそも薬物に手を出したのは、すでに述べた通り、この世に希望が見いだせないため、何か内側の世界、つまり意識の世界に救いはないか、というのを求めてのことだった。しかし、後には危うく帰らぬ人となりそうなところまで追い込まれることになった。

 覚せい剤を初めてやった日は、正直、とくに大した変化はないように思えた。冷静に振り返ると、24時間以上起き続け、その間、まったく空腹感なく、でものどが渇いていて、ずっとおしゃべりし、学校に行っても、おしゃべりし続け、まあ、たしかに様子はおかしかったのだが、何か凄い体験をした、という感覚はなかった。

 だが、数日後、またやりたいという欲求がどこからか湧き、その欲求に従って、やった。何度か繰り返している内に、覚せい剤によるハイ状態を満喫できるようになった。

 それは例えると、神にでもなったかのような全知全能的な自信がどこからともなく湧くと同時に、まるで天国にでもいるような絶対的(のように感じる)な幸福感に包まれ、それが永続することを微塵も疑っていないような状態と言えばいいだろうか。また、集中力が尋常ではないため、覚せい剤をやっている者同士でキメた状態で語りだすと、ほんとうに止まらないし、何か一つの行為に何時間でも平気で没頭できた。

 しかし常用していく内に事態は少しずつ変化していった。

 薬をやって一時的に天国にいるような多幸感に包まれても、薬が切れれば、そく地獄のような苦しさと虚しさに襲われ、幻覚、幻聴、被害妄想等、いわゆる統合失調症のような症状に悩まされるようになったのだ。自殺未遂するにいたるまで追い込まれた時もあった。が、それでも覚せい剤をやればすぐにまたあの絶対的(のように感じる)な幸福感が得られたものだから、やめられないでいた。虚構の幸福感にわたしは溺れ、踊らされていたのだ。

 1997年7月16日も、わたしは前日の夜から二階の自室で覚せい剤をやっていて、一睡もしていなかった。

 昼下がり、母親の声が一階の玄関の方から聞こえた。「シャーノン、なんかきてるわよ!」

「ああ、いま行く!」と叫び一階に下りると、わたし宛の封筒が玄関に置かれていた。

 送り主はKだった。

 開けてみた。

 冊子だった。

 表紙を見た。

「日本国民に告ぐ! 日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」と大きく縦書きで書かれている。真ん中に流れ星の写真、左上に漢文で書かれた古文書の写真がある。そして真ん中の下あたりに、「冨士大石寺顕正会 会長 浅井昭衛」と書かれていた。

 そういえば、今年の7月までに彼の宗教団体の会員数は50万人を超えるとのことで、その暁には、いよいよ国を諌める戦いに立ち上がる、という趣旨のことをKが言っていたのを思い出す。これもその一環なのだろうか。

 裏表紙に目をやった。

 流れ星と肩を並べる富士山の写真を背景に、目次が目に飛び込んできた。

 すぐに表紙をめくり、「序章 日本国いま亡びんとす」と書かれたページを開く。

 覚せい剤が効いていたのか、この間、いっさいの雑念はなく、わたしは吸い込まれるように読み始めた。

 様々な言葉が飛び込んでくる。

「いまの日本は、政治家も官僚も企業トップもマスコミも大衆も、ことごとく“火宅に遊ぶ子”となっている。国まさに亡びんとしているのに『覚らず、知らず、驚かず、怖じず』で、オモチャに夢中になっている。

 国の命運を担うべき政治家はポストと利権漁りに明け暮れ、官僚は賂にまみれ、企業トップは闇の世界と癒着し、マスコミは視聴率を至上として軽佻浮薄、そして大衆は自己中心・欲望肥大に浸りきっている」(pp4)

 飛ばし飛ばしページをめくり最後のほうにたどり着く。「日本に残された時間は少ない…(略)…共に手を携え…(略)…日本国を救おうではないか――」(pp103-104)と締めくくられている。

 細かいことはよくわからなかったが、いま日本は亡びそうな状況で、それを救うには日蓮大聖人の教えを国として保つ以外にない、という趣旨のようであることはわかった。

 そのときはそれ以上、気にはとめなかった。が、心のどこかに何かがひっかかっているような感覚だけが残った。「日本に残された時間は少ない……共に手を携え……日本国を救おうではないか」という言葉が、音もなく頭の中にこだましているような感覚が。

第4話へと続く)

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当ストーリーはファウンダーであるShannonが実際に体験したノンフィクションです。そのため人名等は伏せています。記憶を頼りに書いていますので、万が一記憶違いなどがあった場合、すみやかに訂正します。Shannonは特定の宗教やカルトに現在属していませんし、信仰を勧めているわけでもありません。彼の体験をそのまま語ることが誰かの役に立てば、との思いで書いています。

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