マインドフルネスとは得る幸福ではなく、手放す幸福
- Shannon N. Smith
- 2017年6月13日
- 読了時間: 3分

あなたにとっての「幸福」とは何でしょうか?
わたしがかつて某カルト教団幹部だったとき、この質問と合わせて様々な質問を何千人もの人に対して膝詰めでぶつけてきました。
具体的に見ると答えは様々でしたが、少し抽象的に表現すると例えば以下のようなものがありました。
・お金持ちになる
・有名になる
・結婚して、子どもを作って、家を買って平和に暮らす
・好きなことを仕事にする
・世界一になる
・歴史に名を残す
・平凡に生きること
・等々
※上記以外にもたくさんあったのですが、今回の記事に関連しそうなものだけをピックアップしています
これらの答えには共通点がありますね。
何だと思いますか? 少し一緒に考えてみましょう。
そう。ここで述べられている「幸福」とは必ず「何かを得ることに依っている」ということです。ものであったり、状態であったり。
逆に言うと、その「幸福」は「自立」していません。
自分には何かが「足りない」から何かを「得る」ことによって、幸福に「成る」という発想です。「幸福」を外に求めているともいえますね。
こういった幸福を求めて生きること自体、もちろんなんら悪いことではありません。
ただ、マインドフルネスを実践する際には、こういった「得る幸福」を求める気持ちは返って妨げになります。
なぜならマインドフルネスの実践とは、別の視点で見ると、「手放す練習」をしているとも言えるからです。何かを得ようとするのではなく、逆に手放すのです。
瞑想中に、呼吸を感じ続けます。そして考え事などに意識がそれたら、それをそーっと手放して、呼吸へと戻す。この動作を繰り返すことによって、どんどんと呼吸以外のことが勝手に手放せるようになってきます。普段の生活でもありとあらゆることへの執着が薄れ、手放すのが上手になります。
だから長年マインドフルネスを「本当」に実践してきた人たちは、手放し上手で、心が軽いのです。明るいのです。ちょっとしたことでくよくよしたりしません。本当の意味で強いのです。なぜ強いかというと、物事にあまり執着していないからです。ストレスを感じないわけではありません。ストレスを感じるけど、それを手放す「プロフェッショナル」なのです。
そしてここは実際にマインドフルネスや瞑想を長年やっていると言っている人でも誤解されている方が多いと感じるのですが、手放すということは、コントロールするのとは違います。つまり、手放そうと自分をコントロールすることと、手放すとは違うということです。セルフコントロールとは、セルフコントロールを手放した先にあります。
何かを手放そうとしても手放せないのであれば、ほうっておけばいいのです。なんとかしようとしないことです。これが結果的に手放すことにつながります。
ややこしいですね 笑
マインドフルネスを実践しているときも一緒です。考え事が手放せないのであれば、無理に手放そうとする必要はありません。無理に手放そうとする気持ちを手放して、ほうっておけばいいのです。条件が整えば、勝手に手放され、勝手に瞑想の中心対象に意識が戻ります。この経験が多ければ多いほど、物事の本質が見えてきて、物事への執着が薄らぎます。
わたしはこれを理解するのに何年もかかりました。でもあなたは一瞬で分かるかもしれないし、わたしのように何年もかかるかもしれません。
どうであっても、手放すことが上手になれば、人生が本当に楽になります。
得る幸福というのは儚いものです。手放す幸福とは、何にも依っていないため、壊れようがありません。内なる平和とは、得るものではなく、手放すことによって自然と顕現し、つながるものです。
生きとし生けるものが幸福でありますように
(Photo by Saikazu)
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